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気恥ずかしい北アルプス・唐松岳(7/13-15)
2018 / 07 / 20 ( Fri )

 実はこの記事を書くの、とても恥ずかしいのである。だってですよ、仮にも45年山歩きをしてきて、今さら「八方尾根から唐松岳往復」なんて、とても人様に言えないじゃないですか! 山ガール(数年前そんな言葉がありましたっけねえ)の北アルプス・デビューとか、ヤマケイの「特集・北アルプス入門」じゃあるまいし…。まるで「初めて京都に旅行して、清水寺と金閣寺と祇園を見て、生八つ橋食べて、舞妓さんと写真も撮りました!」とはしゃいでるみたい。
 でも、やっぱり行って良かったから、写真でご紹介つかまつりませう。
 初日(7/13)は、朝東京を出発して白馬駅下車、バスで昼に八方バスターミナル。炎天下を20分近く歩いてゴンドラ・アダムの乗り場へ。まずは兎平に上がる。そこからクアッドとかいう乗り物で黒菱平へ。目の前に鎌池があり、ニッコウキスゲ、コバイケイソウ、ワタスゲなどが咲いている。ここからは折角なのでクアッドを使わず歩いて八方池山荘に登ることにする。オニシモツケ、シモツケソウ、クガイソウ、ハクサンタイゲキ、イワシモツケ、ムシトリスミレ(食虫植物)、ウラジロヨウラク、イワキンバイ、ヤマブキショウマ、タテヤマウヅグサ、シロバナクモマニガナ、テガタチドリ、オニアザミ、ハッポウウスユキソウ、エゾシオガマ、ヨツバシオガマ、クルマユリ、キバナノカワラマツバ、ミヤマシシウド、タカネナデシコなど、期待通りの多種多様な花々に出会えた。
01 八方尾根・鎌池、ニッコウキスゲ、コバイケイソウ(長野県白馬村)
    鎌池
02 八方尾根・タテヤマウツボグサ
    タテヤマウツボグサ
 山荘は翌日は予約で満員とのことだったが、平日だったので一部屋に4人だけというゆったりした環境。屋内のトイレは何と温水洗浄で、夕食はバイキング形式でおかずも多彩だった。残雪の頃泊まって山々を眺めると気持ち良さそうだ。夕方になると、北東に雨飾山、焼山、火打山、妙高山、乙妻山、高妻山、戸隠山、飯綱山などの信越の山々が見えてきた。さらに、白馬三山を隠していた雲も消えてゆき、稜線が姿を見せてくれた。
03 八方尾根より白馬三山
     日暮れの白馬三山
 翌日(7/14)400起床してびっくり。どんよりと雲が垂れ込めている! そんなはずではなかったのにと焦っていると、雲の切れ目から覗く空が明るい。これはいずれ消える雲だろうと思ううちに、どんどん視界が広がってきた。500朝食、537出発。もう白馬岳が見え、一登りすると鹿島槍ヶ岳、五龍岳も見えてきた。これがまた山岳写真でお馴染みの風景で、改めて気恥ずかしくなってしまう。映画やテレビで見慣れたスターが目の前に立っているような気分だ。
04八方尾根より鹿島槍ヶ岳、五龍岳
     鹿島槍ヶ岳と五龍岳
 道にはイブキジャコウソウ、ハクサンシャジン、ミヤマママコナ、オオバギボウシ、ミヤマアズマギク、ウメハタザオらしいもの、イブキボウフウ、クモマミミナグサ、ミヤマムラサキ。少し湿った所にはユキワリソウ。
 635、2035mの八方ケルン。710~720、八方池。
05八方池より白馬三山
     八方池と白馬三山
 すっかり晴れて背中から照らされるので暑くてかないません。この先で道はダケカンバの林に入る。おやっ? 何か変でしょ? だって、普通はダケカンバ林の上に高山のお花畑が広がるものでは? そう、ここでは低い方が草原で、その上に林が現れるのだ。なぜだろうかと考えて、一つの仮説は地質の違い。今までは植物にとって有害な物質を含む蛇紋岩地帯で、岩がちだった。しかしダケカンバ林の地面は、蛇紋岩ではない黒っぽい砂利と土でできている。これなら林が成立するだろう。
06 八方尾根・ダケカンバ林と黒い砂礫
     ダケカンバ林
 その先で雪渓が現れ、傍らにはオオサクラソウやシラネアオイ、エンレイソウ、サンカヨウが咲いていた。おおむね亜高山帯の森林の花だ。
06a 八方尾根・オオサクラソウ
     オオサクラソウ
 2か所ほど雪渓を登るが、もうぐずぐずで、アイゼンは不要だった。825丸山ケルン。だんだん正面の不帰嶮が立派に見えてくる。
07 八方尾根より不帰嶮
     不帰嶮
 尾根の南を巻く道は、雪渓のコンディションのせいかまだ閉ざされていて、道は尾根通しに行く。上の方は左右が切れ落ちたヤセ尾根になっていたが、そこは「入門コース」だけあって、金属パイプや木でしっかり手すりが作ってあった。意外にあっけなく920、主稜線に出る。2600mなので少し酸素が薄い気がする。唐松沢源頭の、クレバスの入った雪渓を見下ろしつつ、唐松岳まで最後の一登り。948、山頂に着いた。
08 八方尾根より唐松岳、不帰嶮
     唐松岳と不帰嶮
 さすが後立山の主稜線上のピークだけあって、展望は素晴らしい。北は白馬三山と手前に不帰嶮。西は黒部川を挟んで北から、毛勝三山、剱岳、立山、薬師岳、赤牛岳、水晶岳、鷲羽岳。南奥に槍ヶ岳、奥穂高岳、前穂高岳。その手前に蓮華岳、針ノ木岳、西尾根が怪異なスバリ岳、そして五龍岳。残念ながら鹿島槍は見えない。今年は雪が少なかったはずなのに、まだ7月半ばだからか残雪がたっぷりあって、スイスの山々を見ているようだ。殊に水晶岳東面のカールの雪が美しく、いつの日にかあの頂に立ちたいと強く思わせた。
08b 唐松岳より毛勝三山
     毛勝三山
09a 八方尾根より剱岳
     剱岳
09b 八方尾根より立山
     立山
09c 唐松岳より薬師岳
     薬師岳
09d 唐松岳より針ノ木岳、鷲羽岳、スバリ岳、水晶岳
     針ノ木岳、鷲羽岳、スバリ岳、水晶岳
09e唐松岳より前穂高岳、奥穂高岳、蓮華岳、槍ヶ岳
     前穂高岳、奥穂高岳、蓮華岳、槍ヶ岳
09f 八方尾根より五龍岳、黒部源流域
     五龍岳
 唐松岳は少し赤みを帯びた花崗岩が分布していて、山頂から小屋への巻き道は砂地になっており、コマクサが点々と咲いていた。
10唐松岳・コマクサ群落
     コマクサ
 普通ならそのまま往路を下山して帰りの特急に間に合うのだが、どうせ家に着くのは夜遅くになるしせっかく数年ぶりの後立山なので、唐松山荘に一泊して山々の夕景と夜明けを楽しむことにした。次の機会に備えて牛首の鎖場をちょっと下見(高度感たっぷりだが、手がかりと足場はふんだんにあるので、鎖に頼らない方が落ち着いて通過できそうな気がした)、小屋の周辺の花々を撮ったり、次第に午後の逆光になってゆく劒・立山に見惚れたりして時間をつぶす。小屋の食堂には山の雑誌がずらり揃っていて、岳人のバックナンバーで我がモンテローザの会報紹介を探したが、時間切れで見つからなかった。
11 唐松岳・大黒沢源頭、ミヤマダイコンソウ
     大黒沢源頭、ミヤマダイコンソウ
 1650に夕食。西日が射し込んで暑い食堂だが、剱岳を見ながらの食事なので文句は言えない。食後、日没までまた山々を見て過ごす。じっとしているとブヨみたいな虫がわんわん集まってきてうるさい。実はその時はほとんど痛みを感じなかったのだが、手や顔を数か所刺されていて、2日後から腫れて痛痒くなった。
12 唐松岳より焼山、火打山
     夕暮れの焼山、火打山
 3日目(7/15)も400起床。快晴だが風が強い。東の山麓は一面の雲海。朝日を浴びた山々を撮り、550朝食。
13 唐松岳より焼山~高妻山、雲海
     東の雲海
 608出発、真正面が太陽ですぐに暑くてたまらなくなる。八方池810~820、八方ケルン830、八方池山荘905、黒菱平925ととんとん下り、1050白馬駅。駅前の土産物屋の2階のふじや食堂で一応「手打ち」のそばと地ビールで慰労。白馬ペールエール、美味であった。
真夏にしては珍しく、昼になっても麓から白馬三山がはっきり見えていた。
14白馬駅より白馬三山
     白馬駅より白馬三山

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初めての奥入瀬・十和田湖(2018年6月23~25日)
2018 / 06 / 29 ( Fri )

 奥入瀬、十和田湖と言えば北東北の有名な観光地であるのに、なぜか今まで行ったことがなかった。登るべき山が思いつかないこと、また新幹線の駅からの道のりが長いことが、敬遠していた理由かもしれない。しかし、写真を見るにつけても気持ちの良さそうなところなので、緑がきれいで日の長い6月に、熟年のご婦人としっぽり歩いてみることにした。まあ、ただの妻ですがね。
 6月23日、新幹線で八戸へ。郊外にある中世のお堂・清水寺観音堂(国重文)を再訪して写真を撮った後、駅前の酒屋で無濾過純米吟醸生原酒「はちつる」(720ccで1620円)を購入し、バスで80分も揺られて十和田温泉郷へ。下車して唖然とした。ほぼ廃墟・廃村なのだ! 大半の店が閉まり、ホテルと銘打った大きな建物が崩れ落ちている。我々の泊まる宿は大丈夫だろうかと不安ばかりが膨らんだ。名前は奥入瀬グリーンホテルと洒落ているものの、外見は築30年以上の合宿所という感じ。
 これでは夕食などとても期待できまい、茶色いマグロの刺身、冷めた天婦羅…そんなもんだろうと予め連れに言い含めておいた。ところが、予想外だったんですよ!
 マス類の刺身、茶碗蒸し、海老の塩焼き一人2本、もずく、ミズ(ウワバミソウ)のお浸し、赤魚と魚のつみれの味噌仕立ての鍋。さらに、姫竹の筍を皮つきで焼いたもの。量こそ多くないし、今どきの温泉観光ホテルの夕食のように「これでもか」の満艦飾でもないが、一品一品が丁寧に、しかも薄味で作ってあって、板前さんが心を込めていることが伝わってきた。どれも「はちつる」によく合う。熟年の女性は、白ご飯が美味だと三杯目に突入、同行者を絶句させた。
20180623-a 奥入瀬グリーンホテルの夕食
20180623-b 奥入瀬グリーンホテルの夕食
 翌日は832のバスで奥入瀬へ。石ヶ戸(いしげど)で下車して渓流歩きを始める。十和田湖の子ノ口までは約8kmの道のりである。お手洗いはここと途中の玉簾の滝、そして子ノ口にしかない。
20180624-002 奥入瀬・石ヶ戸
    石ヶ戸 女山賊の岩屋?
 すぐに現れる大きな石板の屋根みたいなのが石ヶ戸。昔ここに女山賊が隠れて旅人を襲ったという伝承があるが、業態としては実に非効率的で、採算が取れたとは思われない。道は渓流のすぐ横についていて、観光写真でおなじみのたおやかな流れが始終目に入る。日本では他に見られない独特の景観だ。何が違うのだろうと考えてみると、河原というものがない。たいていの渓谷は、大岩がごろごろしているか、小さな礫が河原を作っているものだが、ここでは礫の河原がなく水流ぎりぎりのところまで樹木が生えている。上流が大きな湖なので、天候にかかわらず水量が安定し、洪水にならず、このような渓谷になったのだそうだ。
20180624-013 奥入瀬
 生えている樹木は、渓谷の林の定番のカツラ、トチ、サワグルミ。それにカエデ類やブナが混じっている。カツラなど、高さ20mはあろうかという大木が沢山あった。不思議なことに針葉樹はほとんど見えない。
20180624-067 奥入瀬
 初夏の花は一段落してしまったらしく、撮影できたのはオニシモツケ、ヤグルマソウ、ダイコンソウ、タニウツギ、ツルアジサイ、ズダヤクシュ、エゾタツナミソウ、マルバネコノメソウ、サイハイラン程度。ただ至るところにウワバミソウが群生していて、Hさんではない私でさえ摘んでゆきたくなった。
20180624-080 奥入瀬・サイハイラン
      サイハイラン
 また、コケ類やシダ類も多彩で見飽きない。たまたま22日にテレ東で十和田・奥入瀬の旅番組をやっていて、地元のコケ・ガイドが登場していた。それを見たおかげで、岩の側面に生えるエビゴケは見分けがついた。
20180624-072 奥入瀬・エビゴケ
   エビゴケ
 道々、両側にいろいろな滝が現れるので、それを確認してゆくと飽きない。落差の点で一番印象的だったのは、奥入瀬川の支流にかかる雲井の滝。20mで、水量も多い。
20180624-053 奥入瀬・雲井の滝
 コースの終わり近くにある銚子大滝は、落差は7mだが、本流の滝なので水量は多く、人気の撮影スポットになっていた。
20180624-110 奥入瀬・銚子大滝
 さらに目を惹いたのは、両岸の崖に見られる板状節理。高温の火山の噴出物が積もり、くっついて固まった溶結凝灰岩である。冷えるときに体積が縮むので、規則的な割れ目が入る。奥入瀬のは水平方向に走っていて、石垣のように見える。後で知って仰天したのだが、十和田火山から来たものではなく、76万年前の八甲田第1期火砕流の堆積物だった。途轍もない大噴火だったろう。
20180624-092 奥入瀬・溶結凝灰岩の板状節理
 十和田湖畔の子ノ口に着き、後は翌日にかけて十和田湖を見学。泊った休屋地区も廃業した宿屋が軒を並べ、もはや観光地というよりは廃墟マニアの聖地になっているようだ。十和田神社というものがあり、古くに熊野信仰が伝わってきたらしい。近世には南部藩に尊崇され、恐山以上に北東北の信仰の中心だったという。残念ながら明治維新の際に修験道が禁止され、十和田信仰は途絶えてしまった。かつて行者が籠ったという岩穴が幾つも残り、怪奇な雰囲気を醸し出している。
20180625-06 十和田湖神社拝殿
    十和田神社拝殿
20180625-07 十和田湖神社・天の岩戸
    十和田神社・天の岩戸
 正しい観光客になって、遊覧船で中山半島と御蔵(おぐら)半島を巡った。どちらも、十和田湖の中にできた小カルデラ=中の湖カルデラの外輪山の一部ということになっている。東の御蔵半島の方は、爆発でできたカルデラ壁と、そこに積もった白い軽石層(中せり軽石、約5400年前)が分かるが、西の中山半島は、大半が柱状節理のある溶岩流または溶結凝灰岩でできているように見える。なぜ一つの火山体が吹き飛んで、左半身と右半身でこんなに違うのか、また、なぜ溶岩流または溶結凝灰岩なのにあんなに起伏があるのか、いろいろ調べてもまだ分からない。
20180625-23 十和田湖・御蔵半島、「五色岩」と中ゼリ層
   御蔵半島 五色岩と中せり軽石
 五色岩溶岩流は15000~12000年前の噴出とされている。その上の小さな白い箇所が中せり軽石。
20180625-34 十和田湖・瞰湖台より中山半島
   中山半島
 20180625-14 十和田湖・中山半島の材木岩
   中山半島 材木岩の柱状節理
 これも五色岩溶岩流。見事な節理だ。
 御蔵半島の先端には、巨大海亀のような山が聳えている。御蔵山という溶岩ドームで、最近の研究では7500年前にできたとされている。三内丸山あたりの縄文人は噴火を遠望したろう。「クラ」は東日本で岩の意味でよく使われるから、「オグラ」というのは、修験者たちがこの壮大な岩山を神と崇めて呼んだものだろう。事実、十和田神社の近くに、湖水越しに御蔵山を遥拝する聖地があったという(現在は危険なため立入禁止)。
20180625-29 十和田湖・御蔵山
 より正しい観光客になって、タクシーで湖の展望台をはしごする。30年前の地図ではどこも路線バスが走っていたのだが、今では車しか手段がない。ちなみに自家用車は奥入瀬歩きには不向き。また車を取りに同じ道を戻らねばならないから。
 まず休屋の東の瞰湖台へ。御蔵山を望む定番の展望台のはずなのだが、バイパスができてから通る車が減り、車道は荒れていた。展望台のすぐ横に赤い軽石の分厚い層がある。「南部軽石」と言い、約9500~8600年前に中の湖火口から噴出したもの。
20180625-40 十和田湖・瞰湖台の南部軽石
 最後に、湖の北端にあり、外輪山の中でほぼ最高点に当たる御鼻部山の展望台へ。南八甲田に続く広大なブナ林の中の道を行くが、標高400mの湖畔からは600m以上登ることになる。急斜面につけられたつづら折りの車道なので、毎年雪による損傷が激しいそうだ。展望台からは、十和田湖と中の湖カルデラが、模型を見るように分かりやすく見下ろせる。
20180625-42 御鼻部山より十和田湖
 十和田湖では平安中期の915年にも大噴火が起き、火砕流と泥流が発生、米代川下流では当時の住居が長らくその泥の中に埋もれていた。日本列島では、過去2000年間で最大規模の噴火だったとされている。その噴火の跡を眺め、3・11に思いを致すと、1000年に一度という自然災害は「いつ来てもおかしくないもの」と覚悟しておかなければ、この美しい列島に住む資格はないのだろうと思われた。
 後で分かったのだが、十和田・奥入瀬への観光客は、東日本大震災と原発事故の後で激減、宿泊施設や観光業の廃業が続出したという。修学旅行に来なくなったことが痛かったらしい。地震だけならこの地域はさほどの被害もなかったのだから、すぐに復興の道を歩めたはずなのに…。2011年夏に「東北にお金を落とそう」と皆で早池峰に登ったように、できるだけ東北の山に行くことにしよう。同行者は、帰りの新幹線の中で早速、友達と秋に来る計画を立てていた。秋は宿の値段がぐんと高くなるんだが、いいのかしらん。

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5月会山行 四ツ又山~鹿岳
2018 / 05 / 28 ( Mon )
5月の会山行は、西上州・四ツ又山~鹿岳。
メンバーは、リーダーCAさん、MYさん、メイメイ、HSさん、ぼっち、の5名。

曇り空ではあるものの、やわらかい緑と、ヤマツツジの鮮やかな朱色に目も心も洗われる。
ふと足元を見ると、そこかしこにオトシブミがコロコロと。

四つ又山にて、ニュー会旗で記念撮影。
今回は、デザイン担当も写ってま~す!

DSCN3523_トリミング

3月にお目見えして以来、まだ3ヶ月だけど、どの山でも鮮やかに写ってくれて嬉しい。

山頂から見える鹿岳は、遠く感じる。

DSCN3524_トリミング

実際、細かいアップダウンがあって、結構遠く感じた。

鹿岳は双耳峰。
我々は、一ノ岳に登った後、二ノ岳から北西へ稜線を辿り、下高原へ下る。
一ノ岳山頂にて雨が降り始め、雨具を着る。

DSCN3527_トリミング

二ノ岳へのはしごは、丸太に丸太を括りつけただけの木のはしごだった…。

RIMG1055_トリミング

二ノ岳山頂では、すっかり本降りの雨。
背の低い草木が含んだ雨で、思っていた以上に足元が濡れる。

DSCN3528_トリミング

二ノ岳から先は、標識布を頼りに、道らしき踏み跡を辿る。

小一時間歩いたかと思われる頃になっても、下高原への下り口が見当たらず、
行き過ぎたのではないかと一旦引き返す。

地図を確認するも、やはりこれがルートで間違いなかろうと、再び引き返す。
行き過ぎたかと思った場所より、もう少し進んだところで、下高原への
下り口を見つけることができた。

RIMG1057_トリミング

稜線はなだらかであるが、集落へは急な下りが続く。
ロープやら、鎖やらを交え、樹林の中というのに、すっかり濡れ鼠になって下る。
伐採地に出たと思ったら、木々岩峠へと続く林道とも重なっていた。

鞍部から一ノ岳、二ノ岳をそれぞれピストンして、鹿岳登山口の駐車場へ下る人が多いのだろう。
人気の少ない道であった。
西上州らしいといえば、言えるかな。

ずぶ濡れになった服を、最寄の道の駅で着替えて人心地ついた。
あとは、本庄駅前の居酒屋で打ち上げだ~!
レンタカー利用だと、みんなで打ち上げできるのが嬉しいね。
00:38:04 | ハイキング・縦走 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
早春の鎌倉アルプス(20180224)
2018 / 05 / 10 ( Thu )
 この会山行のリーダーは、去年から例会のたびに「鎌倉アルプスは…」とひどく気にしてい
た。Sさんから紹介された案内書を熱心に読んでおられたが、心労の種はコース設定から
始まり、打ち上げの店の選定にまで及んだ。山の標高対心労度の割合を数値化すると、
今回は世界トップクラスだったのではあるまいか? 
 当日は930に北鎌倉駅集合。鎌倉出身の淡歩歩山の会のTさんが一日案内人を引き受
けて下さることになった。多謝。
 945出発、いつも行楽客で混雑の、円覚寺や明月院への道を行く。明月院の西の山ノ内
明月谷に入り、川沿いを行く。ここはかつて、山の詩人・尾崎喜八さん(1892~1974)が晩
年の住まいを構えられた地である。そんなことを考えながら歩いていると、向こうからやって
こられたのが何と、尾崎さんのお孫さんの石黒敦彦さんであった。尾崎さんの命日の催しや、
尾崎さんの足跡を偲ぶ旅行でお世話になった方だが、町に出る予定なのに、Uターンして
登山口まで付き合って下さった。
 谷の奥の住宅地の裏から、じめじめした照葉樹林に入る。一汗かいて、建長寺の伽藍を
見下ろす展望台に出た。
20180224-06 半僧坊より建長寺

 道沿いに見られる明るい色の堆積岩は、鮮新世の上総層群浦郷層(約250万年前)。
小礫を含む層もある。場所によっては緻密な水平の縞模様を見せており、まるで湖の底
に積もった地層のようだ。波が静かな海だったのかと思ったが、水深400~600mの海底
に堆積したものらしい。
20180224-10 やぐらの上総層群浦郷層

 ゴルフ場に隣接した大平山(159m)は、横浜市の最高峰だそうである。イキがっても
ハマっ子は山に関しては威張れないね!
 山頂から南に向きを変えてうねうねと山道が続く。アルプスは大袈裟だが、都市公園
みたいに整備された道ではなく、斜面も結構急なので、散策感覚で来るところではない。
瑞泉寺の上の尾根で昼食。梅がきれいな明王院のすぐ東に下り、鎌倉逗子ハイランドと
いう住宅地の公園で、リーダー手ずから淹れたコーヒーとおやつの休憩。ここから衣張山
に登る。林でタイワンリスがやかましく啼いていた。ちっとも可愛くないので「尻尾の長い
ドブネズミ」と呼ばれている連中だ。
北に下って源頼朝墓所に詣で、小町2丁目の「楠の木」というお高級そうな和風レストラ
ンで打上げ。アボカドと長芋の柚子胡椒漬、甘海老のカルパッチョ、フグの唐揚、合鴨ソ
テーなど。暖かい1日の歩行の後でグラスワインが回り、うとうとしてしまった。
14:06:07 | ハイキング・縦走 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
三頭山~橅の若葉のそよぐ尾根筋~(20180504)
2018 / 05 / 10 ( Thu )

 今回の一日旅の主目的は、三頭山南西山麓にある古刹・長作観音堂の写真を撮ること。鶴川沿いの小菅村長作にあるこの観音堂は、かつて鎌倉の建長寺の末寺であった旧長谷寺の仏堂の一つである。長谷寺は1871年に廃寺となり、この観音堂だけが残った。廃仏毀釈を生き延びた貴重な古建築と言えるわけで、1946年に国の重要文化財に指定されている。2005年10月29日に訪ねたのだが、改めてデジタル一眼レフできちんと撮りたかったのである。
20180504-05 長作観音堂
                     長作観音堂
 上野原に808に着き、新しく整備された南口のバス乗り場まで大急ぎで走り下りて、814の鶴峠行きバスに乗る。車道が狭く対向車とのすれ違いに手間取るので、長作着(自由乗降区間)はダイヤより遅い925だった。
 13年ぶりの堂は桁行(正面から見た時の左右)が三間、梁間(奥行)四間(一番前の一間は前室)、寄棟造、銅板葺。軒を支える組物は舟肘木で、組物と組物の間には中備がない。つまり、大寺院の本格的な堂宇ではなく、平安時代の住宅の様式を用いたものである。建立年代は鎌倉時代とされている。なだらかな屋根の線も含め、ほぼ同時代の高野山不動堂や、愛知県の金蓮寺
阿弥陀堂と似ていると感じた。 
 たまたま内部も公開されていて、内陣に安置された唐破風屋根の厨子も拝観できた。建物の建立と同時代のものかどうかは分からないが、簡素ながら引き締まった造りである。禅宗様や大仏様の台輪・木鼻からすると、室町時代の作のような感じがした。少なくとも、江戸時代の建築のような崩れた姿ではない。
20180504-11 長作観音堂・内陣厨子
                          同・内陣厨子
 945に観音堂を後にし、鶴川沿いの車道を鶴峠まで登る。快晴ゆえ日向は暑い。1015に峠に着き、三頭山への登山道に入る。ありがたいことに森の中は涼しかった。ブルドーザーで作ったらしい作業道を数回横切り、主稜線の南側をジグザグに登ってゆく。国土地理院の地形図では稜線に道がついているが、これは不正確である。
 1087mの標高点の東の鞍部で主稜線に出た。ここからはいかにも三頭山らしいブナ林になる。大木が多く、もう芽吹き終わって若葉になっている。しかも、なぜか下生えに笹がない。そのため見通しがきき、全体に明るい雰囲気で、比良山地のブナ林を思い出させた。もともと三頭山のブナ林は、14~18世紀に北半球の平均気温が下がった小氷期と言われる時期に広がったものだという。近年の高温はブナにとっては厳しい環境で、今後の存続を危ぶむ研究者もいる。道の両脇を気をつけてみてゆくと、数は多くないものの、ブナの実生がなくはなかったから、順調に育ってくれれば、ブナ林がすぐに絶滅することはないかもしれない。
20180504-19 三頭山・ブナ林

 地形図と異なり、登山道はずっと主稜線の北側を巻いてゆく。1322mのピーク(小焼山?)も、北を大きく巻いてしまった。いつまでも巻き道にいると、山頂に行かずにヌカザス山から奥多摩湖への道に導かれてしまいそうで、鞍部から強引に尾根に乗ってみた。はっきりした道はないものの、踏み跡はあり、しばらくすると先に行く人たちもいたので、これで正しかったことになる。
 1135、1447mの神楽入ノ峰着。富士山と大菩薩連嶺が見えた。
20180504-28 三頭山より富士山

 ここから数回アップダウンがあって、1210、1525mの三頭山西峰に到着。考えてみると麓からの標高差800mの登りは去年5月の御坂山地以来なので、大汗こそかかなかったものの、足の筋肉がくたびれた。山頂はかなりの人混みだったが、北に雲取山(下の写真)から石尾根の展望があり、富士山も見えた。減量のためバナナと乾燥プルーンだけの昼食。
20180504-33 三頭山より雲取山、七ッ石山

 あとは中央峰(1531m)、東峰(1528m)とピークを踏み、予定より時間があったので、三頭大滝を経由して都民の森のバス停へと下った。途中、東に御前山と大岳山が見えた。縦走すると御前山までが長そうだ。
20180504-41 三頭山より御前山、大岳山

 1435発の都民の森の無料バスで数馬に下り、西東京バスで武蔵五日市駅に向かったが、途中から行楽帰りの車で渋滞し、駅到着は大分遅れた。平日に来た方がよかったかもしれない。三頭山のブナ林は都民の森内より今回の鶴峠からの道の方が美しいと思う。観音堂もブナ林も末永く残ることを祈る。
 人けなき御堂の軒や若楓
          瀬音にまじる筒鳥の声

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気恥ずかしい北アルプス・唐松岳(7/13-15)
2018 / 07 / 20 ( Fri )

 実はこの記事を書くの、とても恥ずかしいのである。だってですよ、仮にも45年山歩きをしてきて、今さら「八方尾根から唐松岳往復」なんて、とても人様に言えないじゃないですか! 山ガール(数年前そんな言葉がありましたっけねえ)の北アルプス・デビューとか、ヤマケイの「特集・北アルプス入門」じゃあるまいし…。まるで「初めて京都に旅行して、清水寺と金閣寺と祇園を見て、生八つ橋食べて、舞妓さんと写真も撮りました!」とはしゃいでるみたい。
 でも、やっぱり行って良かったから、写真でご紹介つかまつりませう。
 初日(7/13)は、朝東京を出発して白馬駅下車、バスで昼に八方バスターミナル。炎天下を20分近く歩いてゴンドラ・アダムの乗り場へ。まずは兎平に上がる。そこからクアッドとかいう乗り物で黒菱平へ。目の前に鎌池があり、ニッコウキスゲ、コバイケイソウ、ワタスゲなどが咲いている。ここからは折角なのでクアッドを使わず歩いて八方池山荘に登ることにする。オニシモツケ、シモツケソウ、クガイソウ、ハクサンタイゲキ、イワシモツケ、ムシトリスミレ(食虫植物)、ウラジロヨウラク、イワキンバイ、ヤマブキショウマ、タテヤマウヅグサ、シロバナクモマニガナ、テガタチドリ、オニアザミ、ハッポウウスユキソウ、エゾシオガマ、ヨツバシオガマ、クルマユリ、キバナノカワラマツバ、ミヤマシシウド、タカネナデシコなど、期待通りの多種多様な花々に出会えた。
01 八方尾根・鎌池、ニッコウキスゲ、コバイケイソウ(長野県白馬村)
    鎌池
02 八方尾根・タテヤマウツボグサ
    タテヤマウツボグサ
 山荘は翌日は予約で満員とのことだったが、平日だったので一部屋に4人だけというゆったりした環境。屋内のトイレは何と温水洗浄で、夕食はバイキング形式でおかずも多彩だった。残雪の頃泊まって山々を眺めると気持ち良さそうだ。夕方になると、北東に雨飾山、焼山、火打山、妙高山、乙妻山、高妻山、戸隠山、飯綱山などの信越の山々が見えてきた。さらに、白馬三山を隠していた雲も消えてゆき、稜線が姿を見せてくれた。
03 八方尾根より白馬三山
     日暮れの白馬三山
 翌日(7/14)400起床してびっくり。どんよりと雲が垂れ込めている! そんなはずではなかったのにと焦っていると、雲の切れ目から覗く空が明るい。これはいずれ消える雲だろうと思ううちに、どんどん視界が広がってきた。500朝食、537出発。もう白馬岳が見え、一登りすると鹿島槍ヶ岳、五龍岳も見えてきた。これがまた山岳写真でお馴染みの風景で、改めて気恥ずかしくなってしまう。映画やテレビで見慣れたスターが目の前に立っているような気分だ。
04八方尾根より鹿島槍ヶ岳、五龍岳
     鹿島槍ヶ岳と五龍岳
 道にはイブキジャコウソウ、ハクサンシャジン、ミヤマママコナ、オオバギボウシ、ミヤマアズマギク、ウメハタザオらしいもの、イブキボウフウ、クモマミミナグサ、ミヤマムラサキ。少し湿った所にはユキワリソウ。
 635、2035mの八方ケルン。710~720、八方池。
05八方池より白馬三山
     八方池と白馬三山
 すっかり晴れて背中から照らされるので暑くてかないません。この先で道はダケカンバの林に入る。おやっ? 何か変でしょ? だって、普通はダケカンバ林の上に高山のお花畑が広がるものでは? そう、ここでは低い方が草原で、その上に林が現れるのだ。なぜだろうかと考えて、一つの仮説は地質の違い。今までは植物にとって有害な物質を含む蛇紋岩地帯で、岩がちだった。しかしダケカンバ林の地面は、蛇紋岩ではない黒っぽい砂利と土でできている。これなら林が成立するだろう。
06 八方尾根・ダケカンバ林と黒い砂礫
     ダケカンバ林
 その先で雪渓が現れ、傍らにはオオサクラソウやシラネアオイ、エンレイソウ、サンカヨウが咲いていた。おおむね亜高山帯の森林の花だ。
06a 八方尾根・オオサクラソウ
     オオサクラソウ
 2か所ほど雪渓を登るが、もうぐずぐずで、アイゼンは不要だった。825丸山ケルン。だんだん正面の不帰嶮が立派に見えてくる。
07 八方尾根より不帰嶮
     不帰嶮
 尾根の南を巻く道は、雪渓のコンディションのせいかまだ閉ざされていて、道は尾根通しに行く。上の方は左右が切れ落ちたヤセ尾根になっていたが、そこは「入門コース」だけあって、金属パイプや木でしっかり手すりが作ってあった。意外にあっけなく920、主稜線に出る。2600mなので少し酸素が薄い気がする。唐松沢源頭の、クレバスの入った雪渓を見下ろしつつ、唐松岳まで最後の一登り。948、山頂に着いた。
08 八方尾根より唐松岳、不帰嶮
     唐松岳と不帰嶮
 さすが後立山の主稜線上のピークだけあって、展望は素晴らしい。北は白馬三山と手前に不帰嶮。西は黒部川を挟んで北から、毛勝三山、剱岳、立山、薬師岳、赤牛岳、水晶岳、鷲羽岳。南奥に槍ヶ岳、奥穂高岳、前穂高岳。その手前に蓮華岳、針ノ木岳、西尾根が怪異なスバリ岳、そして五龍岳。残念ながら鹿島槍は見えない。今年は雪が少なかったはずなのに、まだ7月半ばだからか残雪がたっぷりあって、スイスの山々を見ているようだ。殊に水晶岳東面のカールの雪が美しく、いつの日にかあの頂に立ちたいと強く思わせた。
08b 唐松岳より毛勝三山
     毛勝三山
09a 八方尾根より剱岳
     剱岳
09b 八方尾根より立山
     立山
09c 唐松岳より薬師岳
     薬師岳
09d 唐松岳より針ノ木岳、鷲羽岳、スバリ岳、水晶岳
     針ノ木岳、鷲羽岳、スバリ岳、水晶岳
09e唐松岳より前穂高岳、奥穂高岳、蓮華岳、槍ヶ岳
     前穂高岳、奥穂高岳、蓮華岳、槍ヶ岳
09f 八方尾根より五龍岳、黒部源流域
     五龍岳
 唐松岳は少し赤みを帯びた花崗岩が分布していて、山頂から小屋への巻き道は砂地になっており、コマクサが点々と咲いていた。
10唐松岳・コマクサ群落
     コマクサ
 普通ならそのまま往路を下山して帰りの特急に間に合うのだが、どうせ家に着くのは夜遅くになるしせっかく数年ぶりの後立山なので、唐松山荘に一泊して山々の夕景と夜明けを楽しむことにした。次の機会に備えて牛首の鎖場をちょっと下見(高度感たっぷりだが、手がかりと足場はふんだんにあるので、鎖に頼らない方が落ち着いて通過できそうな気がした)、小屋の周辺の花々を撮ったり、次第に午後の逆光になってゆく劒・立山に見惚れたりして時間をつぶす。小屋の食堂には山の雑誌がずらり揃っていて、岳人のバックナンバーで我がモンテローザの会報紹介を探したが、時間切れで見つからなかった。
11 唐松岳・大黒沢源頭、ミヤマダイコンソウ
     大黒沢源頭、ミヤマダイコンソウ
 1650に夕食。西日が射し込んで暑い食堂だが、剱岳を見ながらの食事なので文句は言えない。食後、日没までまた山々を見て過ごす。じっとしているとブヨみたいな虫がわんわん集まってきてうるさい。実はその時はほとんど痛みを感じなかったのだが、手や顔を数か所刺されていて、2日後から腫れて痛痒くなった。
12 唐松岳より焼山、火打山
     夕暮れの焼山、火打山
 3日目(7/15)も400起床。快晴だが風が強い。東の山麓は一面の雲海。朝日を浴びた山々を撮り、550朝食。
13 唐松岳より焼山~高妻山、雲海
     東の雲海
 608出発、真正面が太陽ですぐに暑くてたまらなくなる。八方池810~820、八方ケルン830、八方池山荘905、黒菱平925ととんとん下り、1050白馬駅。駅前の土産物屋の2階のふじや食堂で一応「手打ち」のそばと地ビールで慰労。白馬ペールエール、美味であった。
真夏にしては珍しく、昼になっても麓から白馬三山がはっきり見えていた。
14白馬駅より白馬三山
     白馬駅より白馬三山

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初めての奥入瀬・十和田湖(2018年6月23~25日)
2018 / 06 / 29 ( Fri )

 奥入瀬、十和田湖と言えば北東北の有名な観光地であるのに、なぜか今まで行ったことがなかった。登るべき山が思いつかないこと、また新幹線の駅からの道のりが長いことが、敬遠していた理由かもしれない。しかし、写真を見るにつけても気持ちの良さそうなところなので、緑がきれいで日の長い6月に、熟年のご婦人としっぽり歩いてみることにした。まあ、ただの妻ですがね。
 6月23日、新幹線で八戸へ。郊外にある中世のお堂・清水寺観音堂(国重文)を再訪して写真を撮った後、駅前の酒屋で無濾過純米吟醸生原酒「はちつる」(720ccで1620円)を購入し、バスで80分も揺られて十和田温泉郷へ。下車して唖然とした。ほぼ廃墟・廃村なのだ! 大半の店が閉まり、ホテルと銘打った大きな建物が崩れ落ちている。我々の泊まる宿は大丈夫だろうかと不安ばかりが膨らんだ。名前は奥入瀬グリーンホテルと洒落ているものの、外見は築30年以上の合宿所という感じ。
 これでは夕食などとても期待できまい、茶色いマグロの刺身、冷めた天婦羅…そんなもんだろうと予め連れに言い含めておいた。ところが、予想外だったんですよ!
 マス類の刺身、茶碗蒸し、海老の塩焼き一人2本、もずく、ミズ(ウワバミソウ)のお浸し、赤魚と魚のつみれの味噌仕立ての鍋。さらに、姫竹の筍を皮つきで焼いたもの。量こそ多くないし、今どきの温泉観光ホテルの夕食のように「これでもか」の満艦飾でもないが、一品一品が丁寧に、しかも薄味で作ってあって、板前さんが心を込めていることが伝わってきた。どれも「はちつる」によく合う。熟年の女性は、白ご飯が美味だと三杯目に突入、同行者を絶句させた。
20180623-a 奥入瀬グリーンホテルの夕食
20180623-b 奥入瀬グリーンホテルの夕食
 翌日は832のバスで奥入瀬へ。石ヶ戸(いしげど)で下車して渓流歩きを始める。十和田湖の子ノ口までは約8kmの道のりである。お手洗いはここと途中の玉簾の滝、そして子ノ口にしかない。
20180624-002 奥入瀬・石ヶ戸
    石ヶ戸 女山賊の岩屋?
 すぐに現れる大きな石板の屋根みたいなのが石ヶ戸。昔ここに女山賊が隠れて旅人を襲ったという伝承があるが、業態としては実に非効率的で、採算が取れたとは思われない。道は渓流のすぐ横についていて、観光写真でおなじみのたおやかな流れが始終目に入る。日本では他に見られない独特の景観だ。何が違うのだろうと考えてみると、河原というものがない。たいていの渓谷は、大岩がごろごろしているか、小さな礫が河原を作っているものだが、ここでは礫の河原がなく水流ぎりぎりのところまで樹木が生えている。上流が大きな湖なので、天候にかかわらず水量が安定し、洪水にならず、このような渓谷になったのだそうだ。
20180624-013 奥入瀬
 生えている樹木は、渓谷の林の定番のカツラ、トチ、サワグルミ。それにカエデ類やブナが混じっている。カツラなど、高さ20mはあろうかという大木が沢山あった。不思議なことに針葉樹はほとんど見えない。
20180624-067 奥入瀬
 初夏の花は一段落してしまったらしく、撮影できたのはオニシモツケ、ヤグルマソウ、ダイコンソウ、タニウツギ、ツルアジサイ、ズダヤクシュ、エゾタツナミソウ、マルバネコノメソウ、サイハイラン程度。ただ至るところにウワバミソウが群生していて、Hさんではない私でさえ摘んでゆきたくなった。
20180624-080 奥入瀬・サイハイラン
      サイハイラン
 また、コケ類やシダ類も多彩で見飽きない。たまたま22日にテレ東で十和田・奥入瀬の旅番組をやっていて、地元のコケ・ガイドが登場していた。それを見たおかげで、岩の側面に生えるエビゴケは見分けがついた。
20180624-072 奥入瀬・エビゴケ
   エビゴケ
 道々、両側にいろいろな滝が現れるので、それを確認してゆくと飽きない。落差の点で一番印象的だったのは、奥入瀬川の支流にかかる雲井の滝。20mで、水量も多い。
20180624-053 奥入瀬・雲井の滝
 コースの終わり近くにある銚子大滝は、落差は7mだが、本流の滝なので水量は多く、人気の撮影スポットになっていた。
20180624-110 奥入瀬・銚子大滝
 さらに目を惹いたのは、両岸の崖に見られる板状節理。高温の火山の噴出物が積もり、くっついて固まった溶結凝灰岩である。冷えるときに体積が縮むので、規則的な割れ目が入る。奥入瀬のは水平方向に走っていて、石垣のように見える。後で知って仰天したのだが、十和田火山から来たものではなく、76万年前の八甲田第1期火砕流の堆積物だった。途轍もない大噴火だったろう。
20180624-092 奥入瀬・溶結凝灰岩の板状節理
 十和田湖畔の子ノ口に着き、後は翌日にかけて十和田湖を見学。泊った休屋地区も廃業した宿屋が軒を並べ、もはや観光地というよりは廃墟マニアの聖地になっているようだ。十和田神社というものがあり、古くに熊野信仰が伝わってきたらしい。近世には南部藩に尊崇され、恐山以上に北東北の信仰の中心だったという。残念ながら明治維新の際に修験道が禁止され、十和田信仰は途絶えてしまった。かつて行者が籠ったという岩穴が幾つも残り、怪奇な雰囲気を醸し出している。
20180625-06 十和田湖神社拝殿
    十和田神社拝殿
20180625-07 十和田湖神社・天の岩戸
    十和田神社・天の岩戸
 正しい観光客になって、遊覧船で中山半島と御蔵(おぐら)半島を巡った。どちらも、十和田湖の中にできた小カルデラ=中の湖カルデラの外輪山の一部ということになっている。東の御蔵半島の方は、爆発でできたカルデラ壁と、そこに積もった白い軽石層(中せり軽石、約5400年前)が分かるが、西の中山半島は、大半が柱状節理のある溶岩流または溶結凝灰岩でできているように見える。なぜ一つの火山体が吹き飛んで、左半身と右半身でこんなに違うのか、また、なぜ溶岩流または溶結凝灰岩なのにあんなに起伏があるのか、いろいろ調べてもまだ分からない。
20180625-23 十和田湖・御蔵半島、「五色岩」と中ゼリ層
   御蔵半島 五色岩と中せり軽石
 五色岩溶岩流は15000~12000年前の噴出とされている。その上の小さな白い箇所が中せり軽石。
20180625-34 十和田湖・瞰湖台より中山半島
   中山半島
 20180625-14 十和田湖・中山半島の材木岩
   中山半島 材木岩の柱状節理
 これも五色岩溶岩流。見事な節理だ。
 御蔵半島の先端には、巨大海亀のような山が聳えている。御蔵山という溶岩ドームで、最近の研究では7500年前にできたとされている。三内丸山あたりの縄文人は噴火を遠望したろう。「クラ」は東日本で岩の意味でよく使われるから、「オグラ」というのは、修験者たちがこの壮大な岩山を神と崇めて呼んだものだろう。事実、十和田神社の近くに、湖水越しに御蔵山を遥拝する聖地があったという(現在は危険なため立入禁止)。
20180625-29 十和田湖・御蔵山
 より正しい観光客になって、タクシーで湖の展望台をはしごする。30年前の地図ではどこも路線バスが走っていたのだが、今では車しか手段がない。ちなみに自家用車は奥入瀬歩きには不向き。また車を取りに同じ道を戻らねばならないから。
 まず休屋の東の瞰湖台へ。御蔵山を望む定番の展望台のはずなのだが、バイパスができてから通る車が減り、車道は荒れていた。展望台のすぐ横に赤い軽石の分厚い層がある。「南部軽石」と言い、約9500~8600年前に中の湖火口から噴出したもの。
20180625-40 十和田湖・瞰湖台の南部軽石
 最後に、湖の北端にあり、外輪山の中でほぼ最高点に当たる御鼻部山の展望台へ。南八甲田に続く広大なブナ林の中の道を行くが、標高400mの湖畔からは600m以上登ることになる。急斜面につけられたつづら折りの車道なので、毎年雪による損傷が激しいそうだ。展望台からは、十和田湖と中の湖カルデラが、模型を見るように分かりやすく見下ろせる。
20180625-42 御鼻部山より十和田湖
 十和田湖では平安中期の915年にも大噴火が起き、火砕流と泥流が発生、米代川下流では当時の住居が長らくその泥の中に埋もれていた。日本列島では、過去2000年間で最大規模の噴火だったとされている。その噴火の跡を眺め、3・11に思いを致すと、1000年に一度という自然災害は「いつ来てもおかしくないもの」と覚悟しておかなければ、この美しい列島に住む資格はないのだろうと思われた。
 後で分かったのだが、十和田・奥入瀬への観光客は、東日本大震災と原発事故の後で激減、宿泊施設や観光業の廃業が続出したという。修学旅行に来なくなったことが痛かったらしい。地震だけならこの地域はさほどの被害もなかったのだから、すぐに復興の道を歩めたはずなのに…。2011年夏に「東北にお金を落とそう」と皆で早池峰に登ったように、できるだけ東北の山に行くことにしよう。同行者は、帰りの新幹線の中で早速、友達と秋に来る計画を立てていた。秋は宿の値段がぐんと高くなるんだが、いいのかしらん。

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5月会山行 四ツ又山~鹿岳
2018 / 05 / 28 ( Mon )
5月の会山行は、西上州・四ツ又山~鹿岳。
メンバーは、リーダーCAさん、MYさん、メイメイ、HSさん、ぼっち、の5名。

曇り空ではあるものの、やわらかい緑と、ヤマツツジの鮮やかな朱色に目も心も洗われる。
ふと足元を見ると、そこかしこにオトシブミがコロコロと。

四つ又山にて、ニュー会旗で記念撮影。
今回は、デザイン担当も写ってま~す!

DSCN3523_トリミング

3月にお目見えして以来、まだ3ヶ月だけど、どの山でも鮮やかに写ってくれて嬉しい。

山頂から見える鹿岳は、遠く感じる。

DSCN3524_トリミング

実際、細かいアップダウンがあって、結構遠く感じた。

鹿岳は双耳峰。
我々は、一ノ岳に登った後、二ノ岳から北西へ稜線を辿り、下高原へ下る。
一ノ岳山頂にて雨が降り始め、雨具を着る。

DSCN3527_トリミング

二ノ岳へのはしごは、丸太に丸太を括りつけただけの木のはしごだった…。

RIMG1055_トリミング

二ノ岳山頂では、すっかり本降りの雨。
背の低い草木が含んだ雨で、思っていた以上に足元が濡れる。

DSCN3528_トリミング

二ノ岳から先は、標識布を頼りに、道らしき踏み跡を辿る。

小一時間歩いたかと思われる頃になっても、下高原への下り口が見当たらず、
行き過ぎたのではないかと一旦引き返す。

地図を確認するも、やはりこれがルートで間違いなかろうと、再び引き返す。
行き過ぎたかと思った場所より、もう少し進んだところで、下高原への
下り口を見つけることができた。

RIMG1057_トリミング

稜線はなだらかであるが、集落へは急な下りが続く。
ロープやら、鎖やらを交え、樹林の中というのに、すっかり濡れ鼠になって下る。
伐採地に出たと思ったら、木々岩峠へと続く林道とも重なっていた。

鞍部から一ノ岳、二ノ岳をそれぞれピストンして、鹿岳登山口の駐車場へ下る人が多いのだろう。
人気の少ない道であった。
西上州らしいといえば、言えるかな。

ずぶ濡れになった服を、最寄の道の駅で着替えて人心地ついた。
あとは、本庄駅前の居酒屋で打ち上げだ~!
レンタカー利用だと、みんなで打ち上げできるのが嬉しいね。
00:38:04 | ハイキング・縦走 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
早春の鎌倉アルプス(20180224)
2018 / 05 / 10 ( Thu )
 この会山行のリーダーは、去年から例会のたびに「鎌倉アルプスは…」とひどく気にしてい
た。Sさんから紹介された案内書を熱心に読んでおられたが、心労の種はコース設定から
始まり、打ち上げの店の選定にまで及んだ。山の標高対心労度の割合を数値化すると、
今回は世界トップクラスだったのではあるまいか? 
 当日は930に北鎌倉駅集合。鎌倉出身の淡歩歩山の会のTさんが一日案内人を引き受
けて下さることになった。多謝。
 945出発、いつも行楽客で混雑の、円覚寺や明月院への道を行く。明月院の西の山ノ内
明月谷に入り、川沿いを行く。ここはかつて、山の詩人・尾崎喜八さん(1892~1974)が晩
年の住まいを構えられた地である。そんなことを考えながら歩いていると、向こうからやって
こられたのが何と、尾崎さんのお孫さんの石黒敦彦さんであった。尾崎さんの命日の催しや、
尾崎さんの足跡を偲ぶ旅行でお世話になった方だが、町に出る予定なのに、Uターンして
登山口まで付き合って下さった。
 谷の奥の住宅地の裏から、じめじめした照葉樹林に入る。一汗かいて、建長寺の伽藍を
見下ろす展望台に出た。
20180224-06 半僧坊より建長寺

 道沿いに見られる明るい色の堆積岩は、鮮新世の上総層群浦郷層(約250万年前)。
小礫を含む層もある。場所によっては緻密な水平の縞模様を見せており、まるで湖の底
に積もった地層のようだ。波が静かな海だったのかと思ったが、水深400~600mの海底
に堆積したものらしい。
20180224-10 やぐらの上総層群浦郷層

 ゴルフ場に隣接した大平山(159m)は、横浜市の最高峰だそうである。イキがっても
ハマっ子は山に関しては威張れないね!
 山頂から南に向きを変えてうねうねと山道が続く。アルプスは大袈裟だが、都市公園
みたいに整備された道ではなく、斜面も結構急なので、散策感覚で来るところではない。
瑞泉寺の上の尾根で昼食。梅がきれいな明王院のすぐ東に下り、鎌倉逗子ハイランドと
いう住宅地の公園で、リーダー手ずから淹れたコーヒーとおやつの休憩。ここから衣張山
に登る。林でタイワンリスがやかましく啼いていた。ちっとも可愛くないので「尻尾の長い
ドブネズミ」と呼ばれている連中だ。
北に下って源頼朝墓所に詣で、小町2丁目の「楠の木」というお高級そうな和風レストラ
ンで打上げ。アボカドと長芋の柚子胡椒漬、甘海老のカルパッチョ、フグの唐揚、合鴨ソ
テーなど。暖かい1日の歩行の後でグラスワインが回り、うとうとしてしまった。
14:06:07 | ハイキング・縦走 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
三頭山~橅の若葉のそよぐ尾根筋~(20180504)
2018 / 05 / 10 ( Thu )

 今回の一日旅の主目的は、三頭山南西山麓にある古刹・長作観音堂の写真を撮ること。鶴川沿いの小菅村長作にあるこの観音堂は、かつて鎌倉の建長寺の末寺であった旧長谷寺の仏堂の一つである。長谷寺は1871年に廃寺となり、この観音堂だけが残った。廃仏毀釈を生き延びた貴重な古建築と言えるわけで、1946年に国の重要文化財に指定されている。2005年10月29日に訪ねたのだが、改めてデジタル一眼レフできちんと撮りたかったのである。
20180504-05 長作観音堂
                     長作観音堂
 上野原に808に着き、新しく整備された南口のバス乗り場まで大急ぎで走り下りて、814の鶴峠行きバスに乗る。車道が狭く対向車とのすれ違いに手間取るので、長作着(自由乗降区間)はダイヤより遅い925だった。
 13年ぶりの堂は桁行(正面から見た時の左右)が三間、梁間(奥行)四間(一番前の一間は前室)、寄棟造、銅板葺。軒を支える組物は舟肘木で、組物と組物の間には中備がない。つまり、大寺院の本格的な堂宇ではなく、平安時代の住宅の様式を用いたものである。建立年代は鎌倉時代とされている。なだらかな屋根の線も含め、ほぼ同時代の高野山不動堂や、愛知県の金蓮寺
阿弥陀堂と似ていると感じた。 
 たまたま内部も公開されていて、内陣に安置された唐破風屋根の厨子も拝観できた。建物の建立と同時代のものかどうかは分からないが、簡素ながら引き締まった造りである。禅宗様や大仏様の台輪・木鼻からすると、室町時代の作のような感じがした。少なくとも、江戸時代の建築のような崩れた姿ではない。
20180504-11 長作観音堂・内陣厨子
                          同・内陣厨子
 945に観音堂を後にし、鶴川沿いの車道を鶴峠まで登る。快晴ゆえ日向は暑い。1015に峠に着き、三頭山への登山道に入る。ありがたいことに森の中は涼しかった。ブルドーザーで作ったらしい作業道を数回横切り、主稜線の南側をジグザグに登ってゆく。国土地理院の地形図では稜線に道がついているが、これは不正確である。
 1087mの標高点の東の鞍部で主稜線に出た。ここからはいかにも三頭山らしいブナ林になる。大木が多く、もう芽吹き終わって若葉になっている。しかも、なぜか下生えに笹がない。そのため見通しがきき、全体に明るい雰囲気で、比良山地のブナ林を思い出させた。もともと三頭山のブナ林は、14~18世紀に北半球の平均気温が下がった小氷期と言われる時期に広がったものだという。近年の高温はブナにとっては厳しい環境で、今後の存続を危ぶむ研究者もいる。道の両脇を気をつけてみてゆくと、数は多くないものの、ブナの実生がなくはなかったから、順調に育ってくれれば、ブナ林がすぐに絶滅することはないかもしれない。
20180504-19 三頭山・ブナ林

 地形図と異なり、登山道はずっと主稜線の北側を巻いてゆく。1322mのピーク(小焼山?)も、北を大きく巻いてしまった。いつまでも巻き道にいると、山頂に行かずにヌカザス山から奥多摩湖への道に導かれてしまいそうで、鞍部から強引に尾根に乗ってみた。はっきりした道はないものの、踏み跡はあり、しばらくすると先に行く人たちもいたので、これで正しかったことになる。
 1135、1447mの神楽入ノ峰着。富士山と大菩薩連嶺が見えた。
20180504-28 三頭山より富士山

 ここから数回アップダウンがあって、1210、1525mの三頭山西峰に到着。考えてみると麓からの標高差800mの登りは去年5月の御坂山地以来なので、大汗こそかかなかったものの、足の筋肉がくたびれた。山頂はかなりの人混みだったが、北に雲取山(下の写真)から石尾根の展望があり、富士山も見えた。減量のためバナナと乾燥プルーンだけの昼食。
20180504-33 三頭山より雲取山、七ッ石山

 あとは中央峰(1531m)、東峰(1528m)とピークを踏み、予定より時間があったので、三頭大滝を経由して都民の森のバス停へと下った。途中、東に御前山と大岳山が見えた。縦走すると御前山までが長そうだ。
20180504-41 三頭山より御前山、大岳山

 1435発の都民の森の無料バスで数馬に下り、西東京バスで武蔵五日市駅に向かったが、途中から行楽帰りの車で渋滞し、駅到着は大分遅れた。平日に来た方がよかったかもしれない。三頭山のブナ林は都民の森内より今回の鶴峠からの道の方が美しいと思う。観音堂もブナ林も末永く残ることを祈る。
 人けなき御堂の軒や若楓
          瀬音にまじる筒鳥の声

10:55:43 | ハイキング・縦走 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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