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大月・花咲山(2018/1/14)
2018 / 01 / 25 ( Thu )
 花咲山は、大月駅の西北西にある標高約755mの山で、特徴的な岩壁で有名な岩殿山とは、浅利川を挟んで向き合っている。麓からの標高差はわずか300m、岩殿山のような怖い個所もなさそうで、新年最初の低山歩きにもってこい、雑木林では冬の野鳥に出会えるのではないかと期待して企画した。
 当日は参加予定者全員が電車で1002初狩着。1010に歩き始め、旧甲州街道の面影を残す国道をしばらく東に辿る。行く手に花咲山が駱駝のこぶのように見えた。
 地形図の「笹子川」注記の左に温泉記号があり、「こんなところに温泉? もうつぶれちゃって何もないんじゃない?」と思っていたのだが、何と「日の出鉱泉」という民家みたいなのが本当に建っていた! 薪で加熱しているのか、煙突から煙も上がっている。つげ義春が泊りそうな鉱泉宿だが、わざわざ山の帰りに立ち寄るほどのこともなさそうに思えた。その先の真木川が合流してくる橋のたもとには「いなだや」という食堂があった。焼き鳥などあるそうで、こちらに下山してきた時には使えるかも。ネット記事によると1958年営業開始とあり、モンテのある会員さんと同い歳だ。
 いなだやの先で左手の坂道にそれ、諏訪神社の上に上がり、中央道を越えて真木の集落に入ってゆく。
DSC07857a.jpg

 集落から振り返ると、高川山の右肩に富士山が半身を見せていた。やっと、冬らしい純白の姿になっている。
 郵便局で右折し、小学校の廃校を過ぎたところが登山口。1100。一登りすると林道を横切り、アスナロか何かの植林地と雑木林の混じった斜面をさらに登ってゆく。道沿いには鹿除けか、ずっとネットが張ってある。高度を増すにつれて周囲の眺めもどんどん開けてきた。南西には三ツ峠と鶴ヶ鳥屋山。
DSC07858a.jpg

 1125、山頂から南西に伸びた稜線に出る。標高は約650m。鞍部から東に、大月市街地方面の大観が開けた。
DSC07861a.jpg

 左奥には、登ると大して面白くもない扇山が偉そうな顔をし、駅の右(南)には菊花山がきゅっと聳えている。右奥には倉岳山、高畑倉山。手前の草地は花咲CCというゴルフ場だった。
 ここまでは何ということもない楽な登りで、鳥はトビ、カラス、ヒヨドリを確認。稜線を少し登ると、北西に大菩薩の小金沢連嶺が、黒岳から滝子山まで見えてきた。
DSC07863a.jpg

 さてこの先で、尾根の北西側は幅広い岩の崖になっている。岩殿山の稚児落としとよく似ており、「女幕岩」との看板があった。
DSC07864a.jpg
  (通過して振り返った女幕岩)
 崖際の岩の上はそのまま進めそうだが、立ち入り禁止になっていて、道は稜線東側の山腹をトラバースするようになっていた。ところがこのトラバースが、足元がざれていて歩きにくい。立木がまばらなので、張ってある緩いロープをつかんで通過する。
 その先には「胎内仏道 難路」という看板があり、北側に迂回路があると指示されていた。行く手には丸い巨岩が立ちはだかっている。
DSC07865a.jpg

 近寄るとはっきりするが、岩殿山と同じく、岩の中には小さくてつるつるした、丸く扁平な礫がたくさん入っている。よく河原で水切り遊びに使うようなやつだ。登山道にも小石がたくさん散らばっている。ということは、花咲山の地質も「岩殿山礫岩」ということになる。
DSC07877a.jpg

 岩殿山礫岩については、会報203号の以下の記事を再録してご紹介する。

…この岩は「西桂層群」の中の「岩殿山礫岩」と呼ばれ、「中-後期中新世(約1500万~700万年前)の海成及び非海成の堆積岩類」である。岩殿山礫岩の厚さは最大390m。西桂層群全体の厚さは最大2200mにもなり、その礫は、関東山地の小仏層起源のものと丹沢山地起源のものがあるという。岩殿山の礫は主に海浜礫とのこと。その詳しい年代は、約1600~1400万年前という説と約500万年前説とに割れるが、どうも前者の方が化石という証拠に基づいていて分があるように思える。これに基づいて岩殿山の生い立ちを復元してみると…
 約1500万年前、この地域には海の中に低い陸地(後の関東山地)があった。そこには現在同様、南東からフィリピン海プレートが沈み込み、境界には小規模な海溝(=トラフ)があった。このトラフに、まだ低かったろうが、北の関東山地から土砂が流入して、トラフを埋めるように堆積していった(堆積した粘土に礫が流れ込んで混じると、ちょうど岩殿山礫岩のようになる)。礫の並び方からすると、東から西南西に川が流れていたらしい。調査によれば、海は次第に埋まって陸地に変わっていったそうだ。
 約600~500万年前、フィリピン海プレートに乗った丹沢の火山性の地塊が本州弧に衝突、隆起を始めた。トラフ内の堆積物は南北方向に押され、さらにその下に南から、丹沢地塊の岩盤の一部がはがれて潜り込んできた。だんだん高くなってゆく関東山地と丹沢の間に挟まれて、上からはつぶされ、下からはこづき上げられる形になったわけである。さぞかし苦しかったことであろう。つらかったことであろう。
 こうして徐々に隆起した堆積物は、上の方から侵食されて、下の層が現われてゆく。岩殿山礫岩は硬く均質だったので、雨ニモマケズ 歪ニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 削ラレモセズ 割レモセズ、ホメラレハスル立派な岩峰として晴れて世間にお目見えすることになったのだ。よくやった。おめでとう。…

 で、元に戻って胎内仏道だが、礫岩の巨岩の間を通り抜ける形になっていて、別に難路などではない。「なあんだ」と拍子抜けしていたら、問題はその先に待ち構えていた!尾根がかなりの急降下をしているのだが、足元がザレザレですこぶる滑りやすいのである。ロープはあるが、肝心の足元がおぼつかないので神経を遣う。皆ここで一気にペースが落ちた。この先の下山中もそんな剣呑な個所が幾つかあったが、後でMさんが証言したところによると、「後ろから見ていると、時々SさんとHさんが立ち止まってひそひそ話し合うので、ああまた何か厄介なところがあるんだなと分かった」とのこと。実に的確な人間観察である。
 この下りを過ぎると後は特に問題はなく、ピークを一つ越えて、1205に花咲山の山頂着。苦労した割には、計画とは5分しか違わなかった。先客が一人。石の祠があり、桜の木が2本植わっていたから、一応信仰の山ではあったのだろう。陽射しはあるのだが風が冷たく、お湯を沸かしている間にどんどん体が冷えてきた。それでも2017年正月の百蔵山のカチカチの冷気と比べると何とか我慢の範囲内だ。記念撮影をして1255出発。
 花咲山からは東に、花咲峠、叉平山(さすでえらやま、610m)と辿って、中央道の法面に降りる予定。さっきみたいな崖のような急斜面こそなかったが、そこには別な剣呑君が待ち構えていた。それは何と、「落葉」であった! 
DSC07869a.jpg

 岩殿山礫岩は前述の通りガチガチに硬い。その上には柔らかい土が殆どない。分厚く積もった乾燥した落葉の下がカチカチの地面なので、足を載せると落葉がバナナの皮のようにつるんと滑るのである。しかも落葉はずっと続いているので、一度滑ると止まりそうにない。ストックを突き立て、足を踏ん張って、一歩一歩慎重に下るしかない。ちなみに、帰って家でこの話をしたら、二日前に宝登山に登った妻も同じ状況だったという。
 結局、花咲峠まで予定では10分だったのに、倍の20分かかった。途中、「ここ滑るよ!」ばかり連発していたので、受験生には大変申し訳なかったと思う。峠には小さな石仏があり、無事を感謝して手を合わせる。コゲラらしい「ヴィーッ」という声が何回も聞こえた。その先ではコガラのような「ツピー」という声もしたが、どちらも姿は見えなかった。振り返ると、今下ってきた道の南側も岩壁になっていた。滑ると、ここを落下してゆくのだ。
 峠から二つ目のピークが叉平山、1325。そこから主稜線を離れて南東の枝尾根を下る。そこが40mほどのトラバース道になっていたが、道の左側は殆ど崖と言っていい急斜面。30cm程の幅の道は例によって分厚い落葉。一歩つるんと行くとまず「助からない止まらない、かっぱえびせん」なので、全面的にロープに頼るしかなかった。生まれて57年、山を始めて44年、落葉で生命の危険を感じたのは初めてのことだった。
 ここを過ぎてようやく人心地がつき、尾根はゆるやかに東に曲がってゆく。と、意外なことに気づいた。岩が一変したのだ。
DSC07881a.jpg

 今までさんざん苦労させられた岩殿山礫岩ではなく、黒くごつごつした大きなブロックの岩になっている。まるで火山の溶岩のようだ。ただし他に、淡黄色で硬い砂岩のような岩片も見られた。うーむ、これは火山岩なのか、丹沢衝突前にトラフに堆積した付加体堆積物なのか…?
 後で地質図を見ると、ちょうどこのあたりと道志山地に「中~後期中新世の安山岩・玄武岩」が分布している。岩殿山の中腹では、安山岩溶岩に加え、火山角礫岩や水冷破砕岩も観察できるという。となると間違いなく、丹沢山地を形作る古い水中噴火の噴出物だろう。それにしても、溶岩の歩きやすさときたら、礫岩や落葉とは段違い平行棒!
 最後は笹薮の中を下り、石の祠でお礼参りをして、1405に中央道の法面に下る。廃墟のような街並みを抜けて1430に駅前に到着。6人全員で濱野屋さんに入り、ビールで乾杯した。うち3人は居残り、甲州種の白ワインも開けた。何だかんだと3年連続でこの付近の山が初歩きだ。富士山が見えるのがめでたいからだろうか。
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2018 / 01 / 25 ( Thu )
 花咲山は、大月駅の西北西にある標高約755mの山で、特徴的な岩壁で有名な岩殿山とは、浅利川を挟んで向き合っている。麓からの標高差はわずか300m、岩殿山のような怖い個所もなさそうで、新年最初の低山歩きにもってこい、雑木林では冬の野鳥に出会えるのではないかと期待して企画した。
 当日は参加予定者全員が電車で1002初狩着。1010に歩き始め、旧甲州街道の面影を残す国道をしばらく東に辿る。行く手に花咲山が駱駝のこぶのように見えた。
 地形図の「笹子川」注記の左に温泉記号があり、「こんなところに温泉? もうつぶれちゃって何もないんじゃない?」と思っていたのだが、何と「日の出鉱泉」という民家みたいなのが本当に建っていた! 薪で加熱しているのか、煙突から煙も上がっている。つげ義春が泊りそうな鉱泉宿だが、わざわざ山の帰りに立ち寄るほどのこともなさそうに思えた。その先の真木川が合流してくる橋のたもとには「いなだや」という食堂があった。焼き鳥などあるそうで、こちらに下山してきた時には使えるかも。ネット記事によると1958年営業開始とあり、モンテのある会員さんと同い歳だ。
 いなだやの先で左手の坂道にそれ、諏訪神社の上に上がり、中央道を越えて真木の集落に入ってゆく。
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 集落から振り返ると、高川山の右肩に富士山が半身を見せていた。やっと、冬らしい純白の姿になっている。
 郵便局で右折し、小学校の廃校を過ぎたところが登山口。1100。一登りすると林道を横切り、アスナロか何かの植林地と雑木林の混じった斜面をさらに登ってゆく。道沿いには鹿除けか、ずっとネットが張ってある。高度を増すにつれて周囲の眺めもどんどん開けてきた。南西には三ツ峠と鶴ヶ鳥屋山。
DSC07858a.jpg

 1125、山頂から南西に伸びた稜線に出る。標高は約650m。鞍部から東に、大月市街地方面の大観が開けた。
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 左奥には、登ると大して面白くもない扇山が偉そうな顔をし、駅の右(南)には菊花山がきゅっと聳えている。右奥には倉岳山、高畑倉山。手前の草地は花咲CCというゴルフ場だった。
 ここまでは何ということもない楽な登りで、鳥はトビ、カラス、ヒヨドリを確認。稜線を少し登ると、北西に大菩薩の小金沢連嶺が、黒岳から滝子山まで見えてきた。
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 さてこの先で、尾根の北西側は幅広い岩の崖になっている。岩殿山の稚児落としとよく似ており、「女幕岩」との看板があった。
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  (通過して振り返った女幕岩)
 崖際の岩の上はそのまま進めそうだが、立ち入り禁止になっていて、道は稜線東側の山腹をトラバースするようになっていた。ところがこのトラバースが、足元がざれていて歩きにくい。立木がまばらなので、張ってある緩いロープをつかんで通過する。
 その先には「胎内仏道 難路」という看板があり、北側に迂回路があると指示されていた。行く手には丸い巨岩が立ちはだかっている。
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 近寄るとはっきりするが、岩殿山と同じく、岩の中には小さくてつるつるした、丸く扁平な礫がたくさん入っている。よく河原で水切り遊びに使うようなやつだ。登山道にも小石がたくさん散らばっている。ということは、花咲山の地質も「岩殿山礫岩」ということになる。
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 岩殿山礫岩については、会報203号の以下の記事を再録してご紹介する。

…この岩は「西桂層群」の中の「岩殿山礫岩」と呼ばれ、「中-後期中新世(約1500万~700万年前)の海成及び非海成の堆積岩類」である。岩殿山礫岩の厚さは最大390m。西桂層群全体の厚さは最大2200mにもなり、その礫は、関東山地の小仏層起源のものと丹沢山地起源のものがあるという。岩殿山の礫は主に海浜礫とのこと。その詳しい年代は、約1600~1400万年前という説と約500万年前説とに割れるが、どうも前者の方が化石という証拠に基づいていて分があるように思える。これに基づいて岩殿山の生い立ちを復元してみると…
 約1500万年前、この地域には海の中に低い陸地(後の関東山地)があった。そこには現在同様、南東からフィリピン海プレートが沈み込み、境界には小規模な海溝(=トラフ)があった。このトラフに、まだ低かったろうが、北の関東山地から土砂が流入して、トラフを埋めるように堆積していった(堆積した粘土に礫が流れ込んで混じると、ちょうど岩殿山礫岩のようになる)。礫の並び方からすると、東から西南西に川が流れていたらしい。調査によれば、海は次第に埋まって陸地に変わっていったそうだ。
 約600~500万年前、フィリピン海プレートに乗った丹沢の火山性の地塊が本州弧に衝突、隆起を始めた。トラフ内の堆積物は南北方向に押され、さらにその下に南から、丹沢地塊の岩盤の一部がはがれて潜り込んできた。だんだん高くなってゆく関東山地と丹沢の間に挟まれて、上からはつぶされ、下からはこづき上げられる形になったわけである。さぞかし苦しかったことであろう。つらかったことであろう。
 こうして徐々に隆起した堆積物は、上の方から侵食されて、下の層が現われてゆく。岩殿山礫岩は硬く均質だったので、雨ニモマケズ 歪ニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 削ラレモセズ 割レモセズ、ホメラレハスル立派な岩峰として晴れて世間にお目見えすることになったのだ。よくやった。おめでとう。…

 で、元に戻って胎内仏道だが、礫岩の巨岩の間を通り抜ける形になっていて、別に難路などではない。「なあんだ」と拍子抜けしていたら、問題はその先に待ち構えていた!尾根がかなりの急降下をしているのだが、足元がザレザレですこぶる滑りやすいのである。ロープはあるが、肝心の足元がおぼつかないので神経を遣う。皆ここで一気にペースが落ちた。この先の下山中もそんな剣呑な個所が幾つかあったが、後でMさんが証言したところによると、「後ろから見ていると、時々SさんとHさんが立ち止まってひそひそ話し合うので、ああまた何か厄介なところがあるんだなと分かった」とのこと。実に的確な人間観察である。
 この下りを過ぎると後は特に問題はなく、ピークを一つ越えて、1205に花咲山の山頂着。苦労した割には、計画とは5分しか違わなかった。先客が一人。石の祠があり、桜の木が2本植わっていたから、一応信仰の山ではあったのだろう。陽射しはあるのだが風が冷たく、お湯を沸かしている間にどんどん体が冷えてきた。それでも2017年正月の百蔵山のカチカチの冷気と比べると何とか我慢の範囲内だ。記念撮影をして1255出発。
 花咲山からは東に、花咲峠、叉平山(さすでえらやま、610m)と辿って、中央道の法面に降りる予定。さっきみたいな崖のような急斜面こそなかったが、そこには別な剣呑君が待ち構えていた。それは何と、「落葉」であった! 
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 岩殿山礫岩は前述の通りガチガチに硬い。その上には柔らかい土が殆どない。分厚く積もった乾燥した落葉の下がカチカチの地面なので、足を載せると落葉がバナナの皮のようにつるんと滑るのである。しかも落葉はずっと続いているので、一度滑ると止まりそうにない。ストックを突き立て、足を踏ん張って、一歩一歩慎重に下るしかない。ちなみに、帰って家でこの話をしたら、二日前に宝登山に登った妻も同じ状況だったという。
 結局、花咲峠まで予定では10分だったのに、倍の20分かかった。途中、「ここ滑るよ!」ばかり連発していたので、受験生には大変申し訳なかったと思う。峠には小さな石仏があり、無事を感謝して手を合わせる。コゲラらしい「ヴィーッ」という声が何回も聞こえた。その先ではコガラのような「ツピー」という声もしたが、どちらも姿は見えなかった。振り返ると、今下ってきた道の南側も岩壁になっていた。滑ると、ここを落下してゆくのだ。
 峠から二つ目のピークが叉平山、1325。そこから主稜線を離れて南東の枝尾根を下る。そこが40mほどのトラバース道になっていたが、道の左側は殆ど崖と言っていい急斜面。30cm程の幅の道は例によって分厚い落葉。一歩つるんと行くとまず「助からない止まらない、かっぱえびせん」なので、全面的にロープに頼るしかなかった。生まれて57年、山を始めて44年、落葉で生命の危険を感じたのは初めてのことだった。
 ここを過ぎてようやく人心地がつき、尾根はゆるやかに東に曲がってゆく。と、意外なことに気づいた。岩が一変したのだ。
DSC07881a.jpg

 今までさんざん苦労させられた岩殿山礫岩ではなく、黒くごつごつした大きなブロックの岩になっている。まるで火山の溶岩のようだ。ただし他に、淡黄色で硬い砂岩のような岩片も見られた。うーむ、これは火山岩なのか、丹沢衝突前にトラフに堆積した付加体堆積物なのか…?
 後で地質図を見ると、ちょうどこのあたりと道志山地に「中~後期中新世の安山岩・玄武岩」が分布している。岩殿山の中腹では、安山岩溶岩に加え、火山角礫岩や水冷破砕岩も観察できるという。となると間違いなく、丹沢山地を形作る古い水中噴火の噴出物だろう。それにしても、溶岩の歩きやすさときたら、礫岩や落葉とは段違い平行棒!
 最後は笹薮の中を下り、石の祠でお礼参りをして、1405に中央道の法面に下る。廃墟のような街並みを抜けて1430に駅前に到着。6人全員で濱野屋さんに入り、ビールで乾杯した。うち3人は居残り、甲州種の白ワインも開けた。何だかんだと3年連続でこの付近の山が初歩きだ。富士山が見えるのがめでたいからだろうか。
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